食糧危機2
食糧の生産には当然ながら大量の水が必要とします。
食糧を輸入している國は、その食糧を育てるために使った大量の水を輸入しているのと当然という考え方がある。そうしたいわば仮想の水資源のことをバーチャルウォーター(仮想水)と呼ぶ。日本がお金を出して外国の食糧を購入するというのはこのバーチャルウォーターを輸入しているのと同じです。
我が國日本はそのほとんどを輸入に頼っている。が故にある意味では、限りある海外(同朋や仲間)の水を奪っているという意味合いにも取れます。しかも地球には利用できる淡水はわずか2.5%しかない。
同朋の有限資源を枯渇させぬように、反対に助けられるように、やさか村があるのです。
最も古いハイブリット遺伝子の氏命だと思っております。
好きな言葉に「勝手な氏命感」があります。この頼まれてもいないのに役に立ちたい精神が大好きです。以前訪問販売をやっている時代がありました。100件訪問すると120件は毎度のことながら当然断られるわけです。そんな感覚です。そんな中咄嗟に出た言葉が「頼まれてもいないのに素晴らしい商品を売りにきました」と言って笑いをとり契約してくれたことを思い出しました。勝手な氏命感は自然とヒトを笑顔にしますね。
話を戻すと、江戸時代は鎖國でした。そもそも鎖國していたということは食糧や物資が國内で循環していた証拠です。何もほとんどを輸入に頼らなくてもいいわけです。生活に使う物資やエネルギーをほぼほぼ植物資源で賄っていたというのもさすがは日本の偉人先人たちですね。鎖國政策のおかげで國内でさまざまな創意工夫がなされ再生可能な植物資源を活用する循環型社会を築き上げたわけです。植物ですから、昔の日本は太陽エネルギーによって支えられていたということに成ります。昔から「三里四方の食によれば病知らず」という言葉があるそうです。三里とは12キロですからそんな身近に自身に合う野菜があり、それらを食すれば長生きできるということですね。量子の世界観にも、自宅付近に生えている野菜は自身と大地のエネルギーの相互関係により生えてくるものなので、理解できます。それを400年以上も前から知っていたというのは凄いですね。真理を紐解くと当然とも言えますね。
次回の食糧危機3では、コメ中心の食生活がもたらすメリットを書き込みます。
地救防衛隊