顕在意識と潜在意識
意識とは意志氣。
意識とは意志氣であり、顕在意識と潜在意識は1:9と言われている。意識だけで全てを凌駕することは不可能だと個人的に思っております。
意識がある物事を凌駕するという考え方であり概念を拡げた人物がいるが、和多志は少し違う。と思っております。っというのもミクロの世界観を完全には無視できない。のではないか。と言うことです。
例えば、
意識が顕在意識1割が全てであり「機能」を凌駕すると仮定したならばこのようなことは有り得るのだろうか。。。例えば、タバコを例に挙げよう。タバコが有害か無害の認識が全くない赤ちゃんの顔にタバコの煙を吹きかけて皮膚表面の副流煙による酸化具合いを調べたら本当に全く無害に成るのだろうか。。。赤ちゃんは極端な例だとして、意識で凌駕できるヒトで有り、タバコを吸っていてこの概念を信じているヒトにタバコの副流煙を顔に吹きかけたら顔表面の皮膚の酸化具合いは全くしないのかという疑問がある。結論、個人的にどんな人でもこのタバコの例は必ず酸化していると思っております。何故なら「機能」が備わっているから。
和多志個人的には、この場合の機能も9割の潜在意識に連動していると思っております。
この世は二元性ですので必ず「対」に成る「存在であり法則」があると思います。この場合で言う、顕在と潜在、意識(無意識)と機能、のことです。
意識と機能を一色単にするのではなく、本来は別々である。
どんなに意識を凌駕していても機能(法則であり二元性)が備わっている以上、身体(体内)が反応する。
結論は、タバコを吸うと体内でミトコンドリアが反応していたり血管が収縮しており心臓の負担は否めない。あくまでもマクロとミクロは違っていていくら意識を凌駕していても又は自身は凌駕していると思い込んでいても、矢張り所詮は1割。1割の中の完全に凌駕できたヒトは個人的に人類史上ブッダのみだと思っております。
では残りの9割である潜在意識は何か。
というと、ミトコンドリアでありソマチッドのこと。そこは無視できない。と思っております。
ミトコンドリアのことであり、1割以外の9割、今回のお題でいう機能のことだと思っております。
潜在意識は自身の力が及ばない領域。潜在意識とはミトコンドリアでありソマチッドなのではと思っております。その証拠に自身の心臓を自由に停止できないという事実もあります。
ソマチッドの著書を拝読すると人間の意識とデリケートに反応すると記載がありました。和多志もその通りだと思います。その領域は1割の中の10割のことなのではないでしょうか。。。残りの9割は老子の御言葉を拝借すると「タオ」つまり「道」であり、人間の五感では捉えられない絶対的な存在、秩序そのもの、存在そのもの、という「存在」カタチも、色も無く、名前もない、モノ。
78:22の法則の他に、1:9の法則も仲間に入れてほしいです。
最後まで読んで頂き誠にありがとうございますm(__)m
ヒト・大地・海の還元 地救防衛隊 彌榮